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 伝道劇高野への道

〜 高野山開創秘話 と “動く”弘法大師絵伝 〜


弘法大師・空海(お大師さま)は、不二の法門を求めて中国長安に留学され、青龍寺の恵果和尚より真言の法の全てを相承し、「遍照金剛」の灌頂名を賜りました。
 恵果和尚の「早く日本に帰って国家に奉り、真言の法を広めよ」との御遺告に従い、真言の法具経典をはじめ、数多の文化知識を日本に持ち帰られました。



この御帰朝の際、中国明州の浜辺より「真言密教を弘めるに相応しい地あれば示したまえ」と、日本に向かって法具『三鈷杵(さんこしょ)』を投げられ、これが高野山の伽藍「三鈷松」に留まっていた、という飛行三鈷(ひぎょうさんこ)伝説となりました。(この飛行三鈷杵は連綿と護られ、金剛峯寺の重宝となっています。)

もともと20年留学する約束で入唐されたものの、わずか2年程で帰国されたお大師さまは、数年間九州太宰府に留め置きされますが、ようやく朝廷の許しを得て都に上洛されますと、鎮護国家の祈祷をはじめ多方面に活躍され、天皇の信頼を得ます。


弘仁7年(816)、お大師さまは、嵯峨天皇より高野山を賜わられました。
〜高野山の真言密教の聖地としての歴史はここから始まります。〜



 高野へ向かうお大師さまですが、何者かに行く手を阻まれます。
    “待たれい”
    “これより先は浄域だ、入ってはならぬ”

声の主は、高野一帯の山麓の守り神である「丹生都比売尊」(にうつひめのみこと)と、その息子「狩場明神」(かりばみょうじん)です。
 お大師さまは、 その真剣な思いをお二人の神さまにぶつけ訴えられます。
自身が若き日の山岳修行の際に知った、まるで八葉の蓮華のような山々に囲まれ、自然豊かで清水の流れる平原の幽地「高野の峰」を、真言密教の聖地、真言行者の修禅の道場として借り受けることができるよう、両明神にお許しを請われます‥‥。




お大師さまは、いかにして高野山を開創されたのか。
その御苦労御功績と、
1200年経った今でも尚、多くの人々にお慕いされる そのお姿を
声明(しょうみょう)・御詠歌(ごえいか)などの宗教音楽、宗教舞踊を交え
立体的に御覧いただくことで、仏さまの世界を体感し

御来場いただいた皆様と お大師さまを
宮崎と 高野山を
心でつなげる

それが、伝道劇『高野への道』です。




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