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高野山は、和歌山県の北東部の紀ノ川南嶺、蓮の花のように八葉の峯々に囲まれた平原の幽地です。

お大師さま(弘法大師・空海)は、弘仁7年(816)、43歳のとき、
時の帝、嵯峨天皇に「真言密教の根本道場とするために、私に高野山を与えてください」との上奏文をしたためてお願いをされました。
これに対し嵯峨天皇は、高野山下賜の太政官符を下され、七里四方の山林をお大師さまに与えられました。高野山の歴史はここから始まります。

      来たる平成27年は、高野山が開かれてから1200年目の記念の年となり、
                50日間に及ぶ大法要が営まれます。



 この上奏文(『於紀伊國伊都郡高野峯請乞入定処表』)の中にも
「空海少年の日、好んで山水を渉覧す、吉野より南に行くこと一日、更に西に向って去ること両日程、平原の幽地あり、名づけて高野と曰う」
と記されており、入唐以前からこの地の存在と、その聖地たる幽浄を存じていらっしゃったことが解ります。
 また、「上は国家の奉為に、下はもろもろの修行者のために」とあるように、国家の平安と真言末徒教育の根本道場を創ること、更には、お大師さまご自身がこの地に入定留身され、永久に生きて済世利民の行を続ける聖地とされることが、高野山開創の大きな意義であります。


高野山の地主神「丹生都比売大神」と「狩場明神」

お大師さまは高野山を御開創されるにあたり、高野山の地主神である「丹生都比売大神」と「狩場明神」に高野山を借り受けられることのお許しを請われます。
狩場明神は高野御子大神(高野明神)とも呼ばれ、丹生都比売大神の子供とされます。
高野御子大神は、密教の根本道場の地を求めていた弘法大師の前に、黒と白の犬を連れた狩人に化身して現れ、高野山へと導かれました。
お大師さまは高野山の壇上大伽藍に大神の御社を建て守護神として祀り、高野山の安穏と真言密教の興隆を祈念されました。



 特別伝道の当番となる本年、宮崎支所では「お待ち受け法要」として、九州各県の僧正をはじめ宮崎県下の高野山真言宗の寺院住職によるおつとめと、御詠歌・宗教舞踊を織り込んだ伝道劇『高野への道』を上演いたします。

この「高野山開創の意義」と「『開創1200年大法要』が開催されること」を檀信徒及び一般に広く周知すること、また、大法要に参列することが叶わない方々に高野山を感じ、宮崎と高野山とを心で繋いでいただくための内容と致しました。

 また、「声明」「御詠歌」といった仏教音楽は、「音の響きを捧げることで、大日如来をはじめ、広大無辺の宇宙の多くの神佛とつながることができる」という古代からの文化と真言宗独特の思想を体感して頂くためには欠かせない要素です。
 大勢の僧侶が声を揃え、統一されたお作法に則って発する一語一句一挙手一投足は、まさにお大師さまが教示される曼荼羅世界をこの場に具現せしめるに相応しい内容です。

 更に、参列の檀信徒御一同様と共にご真言や御宝号、あるいは御詠歌をお唱えし、その音の響きが会場に充ち満ちたとき、お一人お一人が本来持ち合わせている自身の仏さまとの感応を味わって頂けるものと確信いたします。


 真言宗の檀信徒さまはもとより、お家の宗教が真言宗ではなくとも、お大師さまをお慕いする方には是非ご覧頂きたい内容です。
 大変魅力のある内容でございますから、皆様には 心から御満足頂けることと思います。


皆様の御来場をお待ち申し上げております。



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